ロマろぐ

オタクコレクターの人生後半戦記

「好き」を仕事にしない方がいいのか?

 

Twitterで気になるツイートが流れてきた

 

 

うっわーわかるわー、と思いつつも、じゃぁ「好きを仕事にすると辛い」「好きで入ったヤツは使えない」となるか、というと必ずしもそうではないと思う。

というのも、僕自身が物心ついたころからビデオゲームが大好きで、最近でもポケモン本編にも関わらせてもらっているくらいゲーム業界にお世話になっているから。好きをちゃんと仕事にできて、20年以上仕事を続けている。しかも楽しい。業界の友人も、好きを仕事にして結果と評価を得ている人は多い。

 

僕の経験も踏まえると、好きを仕事にできる人は

  • 『作る事』自体が「楽しい」
  • 好きと得意を分けている
  • よい妥協ができる

という特徴が多いと思う。 

 

『作る事』自体が楽しい

 僕が小学校低学年の頃、祖父が靴屋だったので、上履き靴の透明プラスチックのケースがゴミとして出ていた。そのケースの平たい部分を切り抜いてセルに見立て、マッキーで絵をかいて父親の8mmフィルムカメラでセルアニメーションを撮ろうとしたことがある。
 フィルムが無くてできなかったけど、セル絵を描くまでは到達した。すんげぇ楽しかった。

幼稚園くらいの時にはなんとか紙工作でスペースインベーダーを作れないか、と考え、設計図を描き、紙と割りばしとゴムで作った憶えがある。まぁ、幼稚園生の考える事なのでうまくいかなかったし、紙もペラペラでショボショボだったけど、作っているときは最高に楽しかった。

作ったものを褒めてもらった、などの成功体験はあまりなかった。別に他人に褒めてもらわなくてもいい。作る事自体が楽しかったし、今でも暇があれば何か作ってる。たとえ完成しなくても、手と頭を動かして出来上がっていく過程が楽しい。

「漫画家が息抜きに同人漫画を描く」というのはすごくよくわかる。

好きを仕事にしている知人のクリエイターたちも「子供の頃に家に無かったから作ろうとした」経験者は多い。

 

ところで僕の甥(中学生)はゲーミングPCを持つくらいゲームが好きではあるが、じゃあ作る事自体が好きなのか、というとそうでもない。

甥が「塾でプログラミング習ってるから、学校のプログラミングの授業が楽勝で退屈だわー」とミサワ風に言ってきたので「じゃぁその退屈な時間に何かゲーム作ってる?」と聞いたらキョトンとされた。

まじか。僕は退屈な授業中にノートに手書きでゲームのBASICソースを書いてたぞ。と、80sおっさんトークをする以上に「作る人」と「やる人」の意識の断絶に驚いた。

 

 もしかすると「作る事が好き」という感情は、生まれたときに決まってるのかもしれない。または何かの拍子にスイッチが入るものなのかもしれない。

よく「若い子は恵まれているから、創作意欲が無い」と言われるけど、それも疑問。なぜなら宮崎駿や手塚治虫などの巨匠たちは、多くは家が恵まれたいいとこの子(手塚治虫に至っては、戦前に家に映写機があり、ディズニーのフィルムを購入して上映していた)だからだ。

同時代の子供よりも恵まれた環境の子供の方が、創作に従事できているのを見ると、その説はあまり信頼できない。

 

好きと得意を分けている

人はほぼ、「やりたいこと」と「得意なこと」は違うもので。たまに一致している人がいるけど、それは「天才」「天職」と呼ぶ。

ただ、好きなものに「得意」で居場所を作ることは可能だ。好きな業界に入り、仕事を続けるのが目的なら、得意は手段だ。

 

僕は高校大学と格闘ゲームブームが直撃し、セガサターンだプレステだ、と、盛り上がっていたので、僕も大好きなゲーム業界に入りたかった。

それがもうことごとく落ちた。大好きなセガやイケイケのコンパイルとかも受けたけどかすりもしなかった。お祈りー。

だからと言って、あきらめてはいなかった。というか、あきらめる選択肢がそもそも無いくらい好きだったからね。別の人生は考えたこともなかった。

さてこの場合、取れる「努力」の選択肢は2つだ。

  1. スキルは現状のまま、とにかく会社の数を受けまくる。
  2. 何かしら得意をアピールできる作品を作り、1社の採用確率を上げる。

1の場合、1社の採用確率が10%としても、100社受けようが確率は10%だ。1000%にはならない。この努力は非常に非効率だ。ならば2しかない。

まずは自分の得意を見極めることだ。プログラム、ドット絵などいろいろをデジタルメディア(電脳倶楽部)にズンドコ投稿した。その反応、掲載率を見て、僕が得意なのは当時流行りだした3DCGアニメーションだとわかった。

そうなると道が見えてくる。まず就職浪人の1年間で短編の3DCGアニメーションをX68000で作り、箔付けのためコンテストに応募して賞を取り、まずはアニメの仕事をした。そこで経験と知識を得てナムコに入ったりPS2のガングレイヴのムービーパートを作った。

回り道をしたけど、間接的に、得意を生かして増やして少しずつゲーム業界での居場所を確保していった。

 

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現在はゲームのデモシーンのコンテやディレクション、制作を主に担当している。ゲーム作りの構造と知識と、アニメや映像作品の知識と経験と理論の両方を併せ持って、それを組み合わせてゲーム内ムービーを作れる人は、ゲーム業界にはまだあまりいないと思う。

友人のクリエイターも、やはり自分の得意を生かして業界内の自分の居場所を確保している。モデリングが得意、ロボが得意、ということで信頼を得て仕事を続けている。

 

「いい妥協」ができる

 数年前、宮崎駿が3DCGに初挑戦するドキュメンタリーが放送された。カワンゴがゾンビ映像見せて怒られるあれだ。

毛虫のボロのアニメーション制作で、生まれたばかりの毛虫がはじめての世界に驚く演技を作る、という内容だったが、CG班には演技の引き出しが無かったようで、何度もリテイクを重ねていた。すると宮崎駿はその演技のカットを欠番にして別の演出に変えたのだ。「宮崎駿でも妥協するのか!!」と驚いた。

「妥協」と聞くとマイナスなイメージがあるけども、「与えられた条件内で良いものをキープする」に近い。宮崎駿も、リテイクの時間を浪費するよりも、作品全体を見ればさほど印象が変わらずCG班が作りやすいBプランを提案した、という感じだろう、時間とお金は有限。拘る重さと拘らない軽さを併せ持つバランス感覚が、やはり長く続けられるのだろう、

僕もやりたかったことができないこともあるけども、それは次の機会や作品でやればいいか、いいネタがひとつ増えたぞイヒヒヒヒ、と前向きにとらえている。

 

まぁ、いろいろ書いたけど、好きだけでも仕事にできるし続けられる、という例も知ってもらえると嬉しいっす。

ただしかなり頭を使う。「ゲームすきー!はいるー!」だけでは難しい。情報がプレーンなポッと入りとは違い、ガッチガチに好き嫌いがはっきりしている。「セガが好きだから任天堂の仕事なんてしたくないぜー!」となると、入り口も生き残りの確率も狭くなってしまう。

しかし居場所を見つけられれば、ポッと入った人以上のポテンシャルは発揮できる。